2011年11月27日日曜日

Wagner: SIEGFRIED (MET Live in HD, Nov. 5. 2011)

                                          ジークフリート(ジェイ・ハンター・モリス)

MET LIVE in HD で「ジークフリート」を見てきた。長いので夕方から。銀座東劇の混み具合は まずます。さすが初日、という感じ。
2010-2011シーズンから始まった、METの新しいリングは、今期に「ジークフリート」と「神々の黄昏」を上演し、今期の後半には、初のリングサイクルを回します。

今回の「ジークフリート」は注目された作品にしては、どうも不運で、問題が多くて大変だった印象。
まずは指揮者レヴァインの降板(代打はファビオ・ルイージです、いつもどおり)
そして、ジークフリート役は、当初、ベン・ヘップナーだったのがシーズン開始直前に ギャリー・レイマンに交代、しかしそのレイマンがランの直前に病気で降板。
通常なら、なんとかして話題性のある歌手を探しあててくるMETですが、さすがにここまで直前でヘルデン・テノールが余っている訳はなく、アンダーだったジェイ・ハンター・モリスがジークフリート役を務めます。さて、果たしてどうなる?

前半二作品を見たときも感じたけど、この演出はやはりとっつきやすい。
最新技術を使って、ワーグナー作品を忠実に舞台化しようとする気概を強く感じる仕上がり。

その中で最初に気になったのは、やはりジークフリートのモリスの声。一幕のはじめは、ミーメと2人のシーンなので、テノール2人で歌うことになり、そうするとどうしても声質の比較になってしまう。
前回、「ドン・ジョヴァンニ」上映時の予告からちょっと気になってはいたんだけど、モリスの声がちょっとオペラ歌手っぽくない。ミュージカルっぽいというか、(いわゆる日本でいう)アニメ声っぽい感じもする。
そのせいで、ジークフリートの声がなんとなくファニーな響き方をしてしまう。しかも、ミーメ役で共演しているゲルハルト・シーゲルが、格好や演技はキャラクターテノールだけど、声と歌がしっかりしてる(シーゲルのインタビュー、超面白かったんだけど、過去にジークフリートも3回くらいやったことあると言ってた。外見をかなりファニーに作っているから意外かもしれないけど、シーゲル自身の声や歌唱力や演技力はジークフリートできる実力を持っている人な気がした。でも、彼はジークフリートには器用過ぎるかもしれない)。2人の掛け合いを見てると、正直、どっちがミーメかわかんなくなってきたな、という恐ろしい思いが浮かんできて、それを必死で打ち消すのであった。
しかし面白いもので、それにも慣れていく。

しかし、見始めから、ずーっと、ジークフリートってジークムントの息子だよね?つまりかのヨナス・カウフマンの息子の役だよね?ジークフリートってジークリンデの息子だよね?エヴァ・マリア・ウェストブルックの息子ってことだよね?
    ジークムント(ヨナス・カウフマン)とジークリンデ(エヴァ・マリア・ウェストブルック)

なにをどう考えても、見た目が全然、どっちにも似てないですけど!つーかあの金髪はどこからきたのだ!両親とも美しいダークヘアだったぞ!と思っていたのが、だんだん、むしろジークムントの黒い髪、暗い声は悲劇的な人物としての彼の運命の現れで、ジークフリートが金髪で、能天気なほど明るい声質なのは、これが怖れを知らないということなのかも、とか思えてくるから不思議です。
そして二幕で、ジークフリートが両親を思って歌うときになんだか泣けてしまった。
会ったことのない両親を思うジークフリートに、前作「ワルキューレ」で、ジークムントとジークリンデがどれほど苦しんだか、彼らにとってお互いがいかに救いだったか、でもその時間か長くは続かなかったこと、それでもお母さんはあなたに希望を託したんだよ、と教えてあげたくなって泣けてきた。

演出について話を戻すと、大蛇がかわいらしすぎる件についてつっこみたい。あれはなんだったんだ。ファフナー(人間のほうの)と入れ替わる必要があったとはいえ、あれはないだろう。
                  ファフナーのへび(なんとなくかわいい系)


特に「ラインの黄金」でアルベリヒの変身した大蛇が(蛇というよりは恐竜の骨格だったけど)プランク(今回の舞台セットである The Machine の24本の板のこと)をうまく利用した、美しく恐ろしい仕上がりだっただけにちょっと本気でがっかりした。
アルベリヒの大蛇(むしろ恐竜的ななにか)プランクが背骨を表す


今回の売りのひとつである、森の小鳥を筆頭とする3D度合いはスクリーンではピンとこなかった。映像は確実に美しくなっていたけど、そのことと3Dの関係はちょっとわかりにくかった。これは現場で確認するしかないでしょう。

演出面を総合してざっくりと評価するなら、「ワルキューレ」よりはまし、でも、「ラインの黄金」の仕上がりにはまだ及ばない感じ。なにが「ワルキューレ」よりましかというと、映像の美しさで勝っていること、何が「ラインの黄金」に及んでいないか、というと、The Machine を使わなければできない演出で観客が驚くようなもの(「ラインの黄金」でいう、ラインの乙女が宙に浮かんでハイヤハイヤを歌う場面や、ニーベルハイムへ下っていく場面のような描写)が、今回も少なかったから。

そしてこれは非常によくない傾向だと考える。 「ジークフリート」の演出の特徴として、これまでの2作品と比べ、3D映像を採用したことと、投射される映像がより美しかったことが指摘できる(今回、特に水の映像の美しさが際立っていた。技術者へのインタビューで、波を投射する技術について語られていたから、おそらくあれは新しく採用された技術で、これを見せたくて作った場面もあるだろう。ヴォータンが水面に波を立てるシーンとか。美しいけど必然性に薄いから、多分あれは映像の美しさを見せるために入れられたシーンだと思う)しかし、ルパージュが映像の魔術師なのは今にはじまったことではないから、彼がどれほど美しく、臨場感のある映像を持ってきたとしても、それだけでは弱い。
この演出に彼が持ち込んだThe Machineは、重くて不具合も多く、Metのファンからだけでなく、スタッフからも文句が出ているようだ。だからこのリングの演出においては(投射する映像が美しいだけでなく)プランクの使い方に必然性と卓越したアイディアを提示して、この作品はThe Machineがなければ作れなかった、というところを見せる必要がある。なんとか「神々の黄昏」では、ああ、このためにThe Machineが必要だったんだな、と納得のいく場面がほしい。

今回だとジークフリートが炎の中をかけていくシーンとかはよくできていた。プランクの間に落ちそうではらはらした(そういう冒険としてのシーンなので良い使い方だと思う)

剣が折れるとか、槍が折れるときは、ふつうに人力で折れるのもこの演出の特徴のひとつなので、まあいいでしょう。

エルダがキレイだった(そしてそこはかとなくレディ・ガガ風だった。もちろんいい意味で)

しかし、この演出だと、一対一で歌う場面(三幕もそうだし、「ワルキューレ」のヴォータンとブリュンヒルデの対話もそうだし)が、見た目ちょっとさみしくなる傾向は否定できない。


「ジークフリート」を見て、いちばん感じたのが、「ジークフリート」に対する「ワルキューレ」の一幕の影響力の大きさ。モリスがどんなに能天気に歌っているように見えても、カウフマンのジークムントを思い出すとなんだか泣けてくるこの感じ。これはおそらく、年代記っていう枠組みの面白さにやられたんだと思います。

しかし、悲劇のヒーローとして生まれついているジークムントと、悲劇を克服する無垢な英雄として生まれたジークフリートの、両方を演じるテノールもいますよね。ひとりの歌手が両方を演じると、どんな感じになるんだろう?(この疑問は、METのリングを超えたところの話だけど)


Wagner: SIEGFRIED
(MET Live in HD, Nov. 5. 2011)
New Production

Brünnhilde Deborah Voigt
Erda Patricia Bardon
Siegfried Jay Hunter Morris
Mime Gerhard Siegel
The Wanderer Bryn Terfel
Alberich Eric Owens

Live in HD Host Renée Fleming

Conductor Fabio Luisi
Production Robert Lepage
Associate Director Neilson Vignola
Set Designer Carl Fillion
Costume Designer François St-Aubin
Lighting Designer Etienne Boucher
Video Image Artist Pedro Pires

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